恋するということ

常々疑問に思っていたことがあります。

恋愛というやつは、ホモ・サピエンスなら皆するのでしょうか?

 

所謂恋心というやつは皆抱くのでしょうか。

友人にはそういう感情がほとんど無い人がいますので、皆そうだとは言えない気がします。しかし、その友人とて何の感情も無いという事は無いと思われます。ただの性的欲求だけではなかろう、と思うフシもあるにはある。ただ、一般的な人より熱量は小さい。かなり小さい。燃えるような恋、というものはその友人には無さそうです。

 

さて、今回問題にしているのは、そういう個人的な性質ではなくて社会的な条件、とでも申しましょうか。

 

ずっと昔から思っていたんですが、恋愛出来るって幸せだな、もっと言うと平和だなって。

要するに逆に言えば平和じゃ無いところで恋愛感情って生まれるのかなって思うのです。

吊り橋理論とか、そーゆーのはやめましょう。

 

明日、死ぬかもしれない状況であの娘が好きだのあの人が好きだの言ってられるのか、と。そもそもそんな感情がおこるのか。

 

考えました。

例えば日本。現代日本は平和です。コレがある日突然戦争状態になるとします。この場合、恋愛感情というものは変わらず起こると思います。しかし3世代4世代に渡って戦争が続いた場合恋愛感情というものはなくなるんじゃ無いかと思います。とりあえず子孫は残さなきゃなという事でやる事はやるでしょうが。

 

私の考える理由はこうです。恋愛感情って刷り込みの要素がかなり大きいんじゃ無いかと思うのです。そして(最高の)娯楽だと思うのです。

現代人は長年に渡って恋愛の型を刷り込まれていて、知らないうちにそれをなぞっていると思うのです。むしろなぞりたいと思ってるところもあるし。

平和は言い換えれば退屈という事で、刺激が無い。恋愛は刺激である。退屈な日常が違って見える。コレこそが恋愛の最大の効用だと思うのです。

 

戦時下は刺激だらけで子孫を残すという至上命題がある以上、娯楽性には乏しいのじゃなかろうか。

 

故に生まれた時から戦争してる国の子供達は年頃になって恋心なんぞ抱くのかしら。

それを知りたい。

 

自分が恋愛の只中にいる時に思った。なんて平和なんだと。

だって、そーゆー時の幸せのヴィジョンって、恋人が朝起きたら隣にいて寝顔が素敵で、はぁ幸せ。とか、日曜の朝の日差しが窓から差し込むリビングで、コーヒーを飲みながら朝食を一緒に食べて、あぁ幸せ。とか、手を繋いでショッピングや散歩や旅行や食事に出かけて、ふぅ幸せ。とかいうのしか出てこない。

 

よーするにヴィジョンそのものが平和(と経済的余裕)が前提でなければ成り立たないものなのです。だから、言い忘れていましたが、極端に貧しい国でも恋愛って起こり得ないと思います。

 

爆撃と瓦礫とそれに埋もれた防空壕で恋愛も何もあったもんじゃ無い、というのは容易に想像がつく。

早い話、精神的余裕が恋愛感情を生み出すのではなかろーか、というのが私の見解でございます。

 

なんだか、まとまりが無くなってきたので、今日はこのへんで。