Fashion

デビッドボウイの曲の話、ではもちろん無くて、洋服の話である。

ここのところ硬派な話題が続いたので、好きなことの話をしようかなと。

 

最近気が付いたのだけれど、今まで自分が思っていた以上に服(というかファッション全般)が私は好きなんだなと。

高校生の頃ファッションに目覚めた。キッカケは友人にお洒落さんが居たからなのだが、その頃はお金もそれほど無いし、自分に何が似合うのかもよく分かっていなかったから、私自身はお洒落だとは言えなかったと思う(今でも自分ではそう思わない。そもそも、それは他人が判断するものだ)

 

しかし、興味を持ったのは確かだ。

 

私はいわゆる、見栄えのする体型では無いので、実際一般的な体型の人より難しかったはずだが、当時の自分にはそれさえも分かっていなかった。

 

後々、それを痛感することがあった。

服に全く興味がない人は別にして、誰でも多かれ少なかれ経験がある買い物の失敗である。二十歳になるかならないかくらいの頃だったと思う。

 

どうも、家に帰って買ったものを着てみるとオカシイ。いかにも滑稽である。全然似合っていない。しかも当時の自分にはかなり高い買い物であったので心底落ち込んだ。

どのくらい気に食わなかったかと言うと、その日のうちに別の店に売りに行ったほどである。確か半額くらいにはなったがかなりの痛手だった。

 

ここでみんな疑問に思うかもしれない。そんなに気に入らないものをなぜ買ったのか、と。ごもっともな指摘である。当然そう思う。むしろ思ってもらわなければ困る。話が進まない。

 

ハッキリとは覚えていないのだが、色々な要素が絡み合っていたとおもう。

1.買い物経験の浅さ

2.自分に何が似合うのかまだよく分かっていなかった。

3.洋服博覧会のようなイベントで買ったこと。

4.店員のあしらい方を知らなかったこと。

5.ブランド(一般的な高級ブランドでは無い)の物が今ならこの値段で買えると思ってしまったこと。

 

試着して鏡も見たのだが、その時はあまり変に思わなかった。。。なぜだろう。今思えば似合っていない原因は明白で、単純にサイズが合っていなかった。基本のき、である。

もう記憶が定かではないが、おそらく自分自身も会場で鏡を見てた時にしっくりは来ていなかったはずだが上記のような要素が絡み合って購入に至った気がする。

当時の私は非常に可愛らしいウブな人間だったのだなぁ、と感心さえしてしまう。店員にNOと言えなかったわけだから、実にカワイイものである。

 

しかし、この経験は自分を大きく変えた。ファッションと言うものの重要性を身をもって理解できた。ここから私はすごく拘るようになった。とにかく何がどうしたら似合うのかと言うのを考えるようになった。店員の褒め言葉にも一切耳を貸さなくなったし。当然要らないものは買わなくなった。

 

逆に自分に合ったサイズ合ったデザインのものを着ると全く見た目が変わる(素晴らしく良くなる)ことも同じくらいの時期に体験し、これがより一層服に対する執着を加速させた。

私は基本的にブランドものは好きではない。まず買わない。いいなと思ったものが、有名なブランドだった場合は買うこともあるが、先にブランドの名前で買いたいと思ったことは一度もない。いわゆる高級ブランドはむしろ嫌いである。

ただ、すごく嫌なのが自分はイイなと思って買った、当時それほで有名でもなかったものが、のちにすごく有名になってみんな着るようになったヤツである。

人から見たら流行ってるから買ったと思われるのがすごく嫌だ。こっちは何年も前から着とるんじゃ、ボケ。恥ずかしい。そーゆーのが二つくらいある。とっても嫌だ。

 

さて、ブランド品の話の続きだが、質の良さは認めるし、高品質を求めたら欲しくなるのは分かる。が、幾ら何でも高過ぎる、あんなものに大金を出すのはアホだと思っている。値段が尋常ではない。そこにはなんの価値も無い。虚栄心を満たすくらいのものでしかない。

特にカバンや財布なんて最悪である。

服は着心地、軽さ、デザイン、シルエット、ドレープ感、質感、織り、素材のランクなどが圧倒的に違ってくるし、着るものだからまだ(にしても高過ぎる)分かるが、カバンや財布は肌に触れないし、革のランクはもちろんイイし滑らかで柔らかかったりするのは認めるが、あんな誰がどこから見てもすぐそれと分かるようなものはハッキリってダサい。デザインもダサい。

 

話が逸れた。

 

とにかくそう言う訳で、その後もなんども失敗しながら、自分に似合うものを考え研究し買うようにしてきた。

しかし、ファッションには流行という意味もあるように時代性というのがあるし、自分の趣味も変わる、歳も取る(体型は変わらないのになぜか若い時の服が似合わなくなる)ということで変化の必要に迫られるタイミングがある。

これがまた大変で、失敗が多くなる。

しかし、歳を取っても失敗が少なく且つお洒落に気を使っているように見え、さらに大して考えなくて済む方法が一つある。

 

コンサバである。

 

これがとても便利なので、歳を取ってもダサくは見られたく無いが、真剣に服のことを考えるのも面倒だという人は大抵コンサバに行く。実際本人たちにその意識はあまり無いとは思う。ほぼ無意識にそうしていると思われる。

確かにそれなりの歳の一般人があんまり尖ったファッションをするのはかなり危険を伴う。ヤバイ人か若者かぶれのイタイ人に見られかねない。

 

だから歳を経た一般人のお洒落はとても難しい。芸能人は割と簡単だと思う。そもそも変な格好でも許容されているところがあるから。

 

私は年齢的にその変化の中にいる。何が正解か分からないから恐ろしいところがあるし、変化はお金もかかる。失敗も多少出てくる。

一時期はコンサバに流されそうにもなった。

でも、ファッションのことを考えるのはやっぱり楽しいし、退屈なのは嫌いなのだ。

 

そこで、最初の話である。

私は、はたと思った。

自分はこんなにもファッションが好きだったのかと。まだ情熱があるなと。

 

いろんなものに対する情熱が失われていくのを感じる中でファッションがまだ残っているのは意外である。自分でも驚いている。